American Boyfriend http://americanboyfriend.com Futoshi Miyagi Fri, 08 Nov 2013 01:59:33 +0000 ja hourly 1 http://wordpress.org/?v=3.5.1 古いアルバム http://americanboyfriend.com/?p=598 http://americanboyfriend.com/?p=598#comments Thu, 07 Nov 2013 13:19:32 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=598 IMG_6312

リゾートホテルにもすぐに飽きて、僕は実家を訪ねた。徒歩十分。自分の部屋、学習机をあさっていると古いアルバムがでてきて、それは中学校の修学旅行のアルバムだった。持ち上げると、きちんと収められていなかった写真が二枚落ちる。どちらもYの写真だった。バスの中でカメラに向かってピースをしているもの。布団にくるまれて目を閉じているもの(寝ている彼を、みんなとふざけてるふりして撮ったのかもしれない)。

14歳の頃、修学旅行が終わり写真が現像され、僕は写真屋でもらったアルバムに写真を注意深く、時系列に並べた。たくさん撮ったように思えたけどアルバム一冊にも満たなくて、そのなかでYが一人で写っているのは二枚。その二枚をそっと抜き出して、ぼんやりと眺める。どちらもそんなにいい写りの写真ではなくてがっかりした。ある日学校が終わってみんなが部屋に遊びにきたとき、ひとりがアルバムを手に取った。修学旅行の写真だ、と開くと写真が二枚ひらりと床に落ちた。おまえ、Yがすきなの!と彼が言う。僕は返事に困り、まごついてしまう。ベッドに腰掛けていたYは少し困った顔で窓のそとに顔を向けた。すると、もう一人が、誰に頼まれたんだ?と聞いて、僕はここで態度を変えてはいけないと慎重に口をつぐんでみる。誰に?もう一度聞かれた頃に、Yが、やめなよ、と言った。

僕はアルバムを閉じて、その下にあった、さらに昔の写真を手に取る。小さな頃の写真が数枚。僕が生まれたばかりの頃、紫のワンピースを着た母に抱かれていた。1982年頃。写真の母は今の僕と丁度同じくらいの年齢だろうか。今まで気に止めていなかったこの写真になぜか惹かれて、僕は修学旅行のアルバムとともに、東京へ持ち帰ることにした。

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=598 0
オーシャン ビュー リゾート http://americanboyfriend.com/?p=573 http://americanboyfriend.com/?p=573#comments Wed, 30 Oct 2013 00:58:51 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=573 IMG_6145

そのあと僕たちが見る夕焼けは、すべて「ゴールド・フィールド」になった。
-フェリックス・ゴンザレス=トレス「1990: L.A., The Gold Field」(ジュリー・オルト編『Felix Gonzalez-Torres』より、Steidldangin, 2006年)

2013年10月。島に帰った。家族はちょうどその時期ディズニーランドに行くというので、海辺のリゾートホテルに宿泊することにした。

実家から歩いて10分で行ける場所にあるのに、そういえば生まれて一度もリゾートホテルなどに泊まったことがないと気づいて、少し変な気持ちになる。旅行者のふりをしてチェックインしても、つい島のなまりが口を出る。部屋に入って、窓の向こうの青い海が目に入り、今まで知らなかったこの島の美しい風景を知る。海岸沿いにはたいてい防風林があり、島の人々が住む背の低い家々からこのように海をみることはほとんどできない。

ずっと昔アメリカ軍がこの浜辺に上陸して、収容所が作られた。それを想起させるようなものはもちろんない。奇麗な白い砂浜には残酷な記憶がどこか不釣り合いで、僕はその歴史を思う度に少し戸惑ってしまう。

昼寝をして、ビーチを散歩。台風が近づいていて風の強い砂浜は人影もまばらで、空にはあっという間に厚い雲が広がっていく。僕はついYの姿を探すけど現実はそう都合良くいくものではなくて、すぐに海にも飽き、部屋に戻った。夕方、一瞬雲が薄くなってレースカーテンの向こうで海が金色に染まる。ゴールド・フィールドだ、と僕は思う。島にいた時は決して見ることが出来なかった景色。よそ者になって初めて見ることが出来た風景。なんだか悲しかった。それでも、レースカーテンの向こうの景色は、美しかった。

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=573 0
人生の秋 http://americanboyfriend.com/?p=528 http://americanboyfriend.com/?p=528#comments Sun, 15 Sep 2013 01:17:31 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=528

アメリカ映画『The Teahouse of the August Moon』(邦題:八月十五夜の茶屋)は、1956年に公開された。映画の中で作られる八月十五夜の茶屋は、那覇の遊郭街・辻にあった料亭「松乃下」がモデルになっており、京マチ子演じる芸者のロータス・ブロッサムは、そこで働く芸者をモチーフにしたと言われている。映画の後半、ロータス・ブロッサムはアメリカ軍人、キャプテン・フィズビーに、私をアメリカに連れて行って、と言うけれど、彼はそれを優しく断り、静かにこう言う。

And on the other side of the world in the autumn of my life
When an August moon rises in the east
I’ll remember what was beautiful
and what I was wise enough to leave beautiful.

この世界の反対側で、僕の人生が秋色に変わるころ
東の空に、八月の月がのぼるでしょう
忘れないよ、その美しさ、
その美しさを、そのままに残し、去った僕の選択を
ダニエル・マン監督、『八月十五夜の茶屋』(MGM、1956年公開)

その言葉は、その場で二人の言葉の橋渡しをしていた沖縄人通訳サキニ(マーロン・ブランド)によって、ロータス・ブロッサムに伝えられる。サキニはその美しい言葉をなぜか完全に訳さずに、ただ、「忘れないよ」とロータス・ブロッサムに伝える。詩のような言葉は、「通訳という境界的存在」(新城郁夫『沖縄を聞く』より)であるサキニの心にとどめられることになる。ロータス・ブロッサムが去ったあと、男ふたり、サキニはフィズビーに言う、僕を代わりに連れてって。フィズビーは笑い、静かに首をふる、だめだよ、と。

このアメリカ映画の中で発せられたアメリカ人大尉の思慮深い言葉に、僕は驚いた。1956年、沖縄では何が起きていたのだろう。アメリカ人たちは、当時、全てを美しいままに残して、去ってゆこうと考えていたのだろうか。

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=528 0
舞踏会 http://americanboyfriend.com/?p=438 http://americanboyfriend.com/?p=438#comments Sun, 18 Aug 2013 07:53:52 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=438 IMG_5935

かつてのアウラを、ただひとつしかない芸術作品への宗教的畏怖を犠牲にしてしまったとしても、我々は機械的複製において何かをその代償に得ている。
リチャード・パワーズ(柴田元幸訳)『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房、2000年)

『舞踏会へ向かう三人の農夫』において、一人の女性の手元で一枚の写真が長い年月を過ごすことで、いつしかそれは、彼女にとってかけがえのないものへと変わる。ヨーロッパからアメリカ大陸に渡る間、そして上陸後に持ち運ばれる間、四つ折りにされ、何度も広げられた写真のヨレやオリが、「ただひとつしかない芸術作品への宗教的畏怖を犠牲にし」た機械的複製に、唯一無二の神聖さを与えた。小説において、「私」がデトロイト美術館で見たザンダーの写真は、どれだけ歴史の重みが付加されても(もしかしたら歴史の重みが付加されたからこそ)「単なる」機械的複製でしかないのかもしれない。けれども、彼女がヨーロッパで偶然手に入れ、彼女の家に飾られていたザンダーの写真は、複製であるからこそとても親密に、カジュアルに扱われ、いつしか彼女だけのものとなった。祭壇に飾られた皺だらけの、かけがえのない一枚の写真。機械的複製は、機械的複製であるがゆえに、同一のイメージがまったく違う環境のもとで、芸術として鑑賞されたり、とてもささやかな宗教的畏怖を手に入れたりする可能性がある。

半世紀、ほぼ一生涯にわたって崇められてきたそのシンプルな肖像写真は、実のところ、想像という営みを通して以外、彼女と何ら本当のつながりはないのだ…(中略)…自分自身の必要に迫られた彼女は、写真の像が融通の効くものであることを利用して、彼らと自分とをつなぐ物語をまるごとひとつ捏造した。
(同上)

『舞踏会へ向かう三人の農夫』を読み終えて以来、ザンダーの三人の農夫が僕の頭の中で動き出し、僕は僕なりの舞踏会へ向かう三人の農夫を想像し続けている。そこに、いくつもの物語が、未来がうまれる。写真は、過去であると同時に、当たり前のように未来を含んでいる。それは、過去と未来が集まり、僕たちの眼前に開かれる希有な空間、T・S・エリオットの言う「巡る世界の静止の点」そのもの。それらを語り、想像することで、僕たちは写真を自らのものとする。ザンダーの切り取った瞬間。被写体たちの、それまでとその後。パワーズの描いた、写真の過去、未来、現在。その他、幾つもの「たとえば」たち。ザンダーが写し取りながらもナチスに焼かれた、星の数程の過去、未来、現在、「たとえば」。その向こうで、僕の知らない、いくつもの未来が開かれてゆく。

たとえばそこで舞踏会が開かれて、農夫だった若い兵士たちが、誰かと永遠に踊っている。僕は、それを見ることはできないけれど。

廻る世界の静止の点に。肉体があるでもなく、ないでもなく、
出発点も方向もなく、その静止の点—そこにこそ舞踏がある、
だが、抑止も運動もない。それは固定とは言えない、そこで、
過去と未来が一つに収斂するのだ。出発点もなく方向もない運動、
上昇でも下降でもない。その一点が、その静止の点がもしなければ
舞踏等存在しないだろう。だが、現実には舞踏こそ唯一の存在。
T・S・エリオット(岩崎宗治訳)『四つの四重奏』(岩波文庫、2011年)

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=438 0
三人の農夫 http://americanboyfriend.com/?p=430 http://americanboyfriend.com/?p=430#comments Sun, 04 Aug 2013 15:36:43 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=430

自分のさまざまな行為を通して、私はつねに私自身の伝記を書いている。かかわり合いと知識とを混ぜあわせながら、両者がふっと消えうせ、混ぜあわせるという行為自体—それは先験的に認識可能な何かだ—をさらす瞬間に対し、おのれの正当性を弁明しながら。このプロセスは、私が他人や、自分の時代や、過去の歳月を理解するに至る道筋と大きく異なるものではない。だとすれば記憶とは、消え去った出来事をうしろ向きに取り戻すことだけではなく、前に向けて送り出すことでもあるはずだ。思い出された地点から、未来の、それに対応する状況下の瞬間すべてに向けて送り出すことでもあるはずだ。
リチャード・パワーズ(柴田元幸訳)『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房、2000年)

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=430 0
ネイチャーボーイ http://americanboyfriend.com/?p=451 http://americanboyfriend.com/?p=451#comments Sat, 03 Aug 2013 16:09:50 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=451 IMG_5790

2002年12月。沖縄に里帰りして、ひょんなことでネイチャーボーイとクリスマスイヴを過ごすことになった。僕は帰郷しても友人と連絡を取りたくなくて、彼は特にクリスマスに興味がないように見えた。たしか僕は21くらいで、ネイチャーボーイはひとつ年下だった。僕が知っている彼の情報といえば、年齢、体重、身長、出身の離島くらい。メールのやりとりを、何度か。僕は別の離島出身のその少年に、親近感とエキゾチックな魅力の両方を感じていた。僕の島は中途半端な場所に存在しているけどやはり沖縄本島の文化圏に属していて、彼は宮古の出身だった。

教えられた首里の住所は、住んでいた那覇の家からも歩いて行けそうな距離だった。僕はちょうど写真を習いはじめていた時期で、ニコンの一眼レフを肩から下げて出かけた。できるなら、彼の写真を撮りたいと思っていた。写真を撮りながら金城町の石畳をのぼる。がじゅまると、ヤシの木。黒猫がいた。首里城。ウタキがある。ちいさな小径の行き止まりには、古ぼけた椅子がふたつ。そうしているうちに、彼のアパートにたどりついた。ドアをノックすると、すぐにドアが開いて彼が現れる。彼は僕より少し背が高いくらいで、ぼさぼさの長い髪からめんどくさそうにのぞく切れ長の目は自然児というよりも落ち武者みたいで、その姿に僕はほっとする。レコード・プレイヤーからはナット・キング・コールの『ネイチャー・ボーイ』が流れていて、やっと彼の名前の意味を理解する。父親やおじさんたちがジャズやブルース、クラシックをレコードでかけてくれて、そのなかの一つがナット・キング・コールだった。島ではみんなそうやって音楽を発見して自分たちのものとしていったんだ、と彼が言う。彼の住む島には、その島なりの文化があるみたいだ。『ネイチャー・ボーイ』は僕が「発見」したのだ、と彼が言った。変なことを言う人だと思ったけど、その音楽をシェアしてくれているというのはどこか嬉しくもあった。

それから真夜中まで泡盛を飲んで、ネイチャーボーイは自分の家族について語りはじめた。両親が離婚して、姉を父親が、彼を母親が育てることになり、それがショックだったこと。なぜ父親は自分を選ばなかったんだろう。ナット・キング・コールのレコードは、父親の部屋にあったものを盗んできたもので、もう二年も島には帰っていない絶対に正月も成人式も島に帰らない。そこまで言って彼が泣いて、僕はその唐突な感情の発露にどうしていいかわからず、テーブルのこちら側で固まる。こうすればいいのかなと自分の手を彼の手の上にそっと動かしてゆく。ぽたぽたと畳に涙があたって涙ってあんな音がするのかと思いながら手を下ろしかけたところで、彼がすっと手を引いて泡盛をあおった。僕は馬鹿らしくなって自分のグラスをあけた。僕たちはどんどん酔っぱらって、さまざまな小さな問題と大きな問題についての告白をかさねた。ぽたぽたと音がする。空が白みはじめた頃、彼がタバコをくゆらせながら、先ほどのレコードを取り出してプレイヤーにおろす。ケースはぼろぼろだったけれど、大切に扱われているのは見てわかる。僕は少しずつ『ネイチャー・ボーイ』を好きになっていた。曲がおわり、またねと握手して僕は部屋をでた。クリスマスの朝だった。僕は彼の部屋にカメラを忘れてしまう。彼の写真を撮ることはかなわなかった。撮っていれば良かったと今でも時々思う。その日のことを思い出せば、ネイチャーボーイの顔や、彼や僕が抱えていたはずのさまざまな問題はすっかり記憶から消えている。彼がそこにいたというぼんやりとした感情だけが、『ネイチャー・ボーイ』のメロディーとともに、立ち現れてはきえてゆく。もしも写真を撮っていたら、十年後の今、それはどのように風化し、どのようなアウラをたたえているのだろう。

]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=451 0
アデライーデ http://americanboyfriend.com/?p=310 http://americanboyfriend.com/?p=310#comments Wed, 10 Apr 2013 16:17:00 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=310

中学校の音楽室にはどこの中学校の音楽室にもあるようなベートーヴェンの肖像が貼られていて、どこの中学生でもそうするように、ベートーヴェンの両目には金色の押しピンが刺されていた。そして僕たちは、第九や第五をきいてはクスクス笑っていた。第二次大戦中にもベートーヴェンは色々な国で色々な思惑のもと演奏されていたようで、連合国ではひとびとが交響曲第五番を勝利の歌とし、日本には実話をもとにしたと言われる『月光の夏』なんて小説もある。ドイツでも、ヒトラー誕生日のフルトヴェングラー指揮による交響曲第九番演奏会の映像がYouTubeに上がっている。たとえば終戦後、島に上陸した米軍のラジオからもベートーヴェンが、例えば弦楽四重奏の13番なんかが流れていたのかもしれない。
中学生の頃、校庭を掃除していると二階の音楽室から先生がピアノをひく音が聞こえてきて、とても奇麗だと思っていたら、誰かが、先生!と大きな声をあげると音楽がやんで先生がおばけの様に窓に現れる。先生、何ていう曲ですか。先生が窓から身を乗り出して、大げさに夏の光の中に躍り出る。アデライーデ!
もちろんそんなことは忘れてしまっていた。ずっとあと、ニューヨークに住んでいた時、友人ふたりに連れられていったレストランでこの曲が流れていたのでこの曲知っていると言うと、ベートーヴェンだ、とひとりが言った。さすがディレッタントだねともうひとりの友人がからかった。ディレッタントの意味がわからなかったけど、彼はその詩をつらつらと英語で教えてくれる。なんて凡庸な詩なんだろう、と僕はすこしがっかりした。そう、アデライーデ。
夜のそよかぜが 若葉をそっとさざめかせ
5月のすずらんが 風の中でそよぎ
波がうねり ナイチンゲールがうたう
アデライーデ!
マティソン『アデライーデ』(wikipediaより)
ニューヨークのレストランで僕は島のことを思い出していた。どうにか先生に向かって叫んだYの横顔の輪郭を辿ろうとしていた。僕が描いた記憶の線はゆらぎながら、輪郭を作り上げる前に背景の木々に連なり校舎を描き、窓枠から先生の側を通り抜けて音楽室、ピアノの鍵盤を走って校舎の向こう側に流れていった。二階のはずれにある音楽室の窓からは校舎の反対側にある裏山が見えて、そこには慰霊碑がぽつりと立っている、子供の頃は何のための碑なのかもわからなかったけれど、夏の日には先生たちに連れられてそこで黙祷をささげていた。子供だったからとくに何のために祈っていたのかもわからなかったけれど。記憶の線はそこで途切れて、声とピアノの音だけが残る。
いつか あぁ奇跡が 僕の墓の上に花ひらく
僕の心の灰から 咲いた一輪
そしてあざやかに はなびら一枚一枚がきらめく
アデライーデ!
きれいな曲ですね。彼が言う側で僕は思っていた。よく言うよ、押しピン刺したくせに。
]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=310 0
恋する兵士 http://americanboyfriend.com/?p=313 http://americanboyfriend.com/?p=313#comments Thu, 28 Mar 2013 00:26:00 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=313

『リリー・マルレーン』を聞いて、何となくベジャールの踊り『恋する兵士』を思い出した。YouTubeで検索するとジョルジュ・ドンの映像が出て来て、踊りの前に誰かが「滅びゆく者たちの最後の踊りだ」と叫び僕はどきりとする。恋する兵士は何時だって美しくて、それは彼が滅びゆくからにほかならないという悲しさ。ドンがどれだけ陽気に踊っても、この兵士は死んでしまうのだろう。リリー・マルレーンに恋する兵士のように。この曲も、第一次世界大戦の兵士の初恋(そして最後の恋)相手を思う気持ちをうたったものらしい。
恋する兵士に感情移入してしまうことは危ういことで、兵士の周りではやし立てる人間たちの残酷さも知っている。それでも踊るドンは美しい。子供のように喜びと悲しみを爆発させる男。中学3年の頃バスケ部の練習が終わった中庭、友人がもってきたCDに合わせて上半身裸でわけのわからないダンスを踊るY。何事かと野球部の男子たちも覗きにくる。顧問の先生は陽気だねぇと笑っていて、女子たちはだれも相手にしていなくて、薄やみのどこかで小さな虫が鳴いていた。男子たちが何人か加わり、輪になってオーオーオーとはやし立てる。僕は部室のドアにもたれてその光景に見とれていた。全員入部制の学校には野球部とバスケ部しかなくて、嫌々バスケ部に入っていた僕は練習が終わる度にこの上ない開放感を覚えた。疲れた体から汗が乾いて体が少し軽くなり、うっとりと自由を味わう。でも、3年になってもうすぐ部活も終わる。Yを目にする時間も減ってしまうのだろう。Yが僕のところにやって来て踊ろうぜ踊ろうぜと手をひいた。僕は驚いていやだと笑ってその手を払った。Yは照れてると言ったあとラララララと両手を広げて中庭の中心へと戻っていった。夜が急速に近づき一幕の終わりのように帳をおろした。
]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=313 0
リリ・マルレーン http://americanboyfriend.com/?p=315 http://americanboyfriend.com/?p=315#comments Mon, 11 Mar 2013 10:15:00 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=315

作業中数人の米兵が私たちをとり巻き、「トウキョーバーン、オーサカバーン、ヨコハマバーン」と口々にいった。日本中の都市が爆撃で焼かれたことを私たちに知らせようとしているのだとわかった。また戦艦大和が撃沈されて、日本には軍艦も飛行機もなくなったことを知っているか、と何度も訊いた。作業が終わると、私たちを椅子にかけさせてラジオのダイヤルを回した。ラジオからは日本の流行歌が流れてきた。「潮来出島に咲く花は 噂ばかりで散るそうな 同じ流れを行く身なら 泣いておやりよ真菰月」。懐かしい女性歌手の唱声が胸にジーンときた。米兵は私たちに、「東京ローズを知っているか」と何度も訊いたが、何のことかわからなかった。
渡辺憲央『逃げる兵』(文芸社、2000年)より
僕が生まれた島の浜辺、収容所にいたふたりの日本兵がアメリカ兵たちとともにラジオを聞いていた。日本のラジオだ。米兵たちが夢中になっていた東京ローズはどんな曲をラジオで流していたのだろうか。東京ローズとは、『リリー・マルレーン』のハンナ・シグラのような存在なんだろうか。ファスビンダーの駄作と揶揄されるその映画で、シグラはハーケンクロイツの前で『リリー・マルレーン』を歌い、確かにそのシーンだけいまでも良く覚えている。その歌は、ララ・アンデルセンやマレーネ・ディートリヒがじっさい第二次大戦中に歌い兵士たちの心を安らげたという。ドイツ軍のみならずイギリス軍もこの曲に耳を傾けたそうだけれど、ドイツの言葉がわからないイギリスの兵士達はどのような思いでこの曲を聞いていたのか、わからないからこそ素直に耳を傾けたのだろうか。そして、日本のラジオで、この曲がながれたことはあったのだろうか。
兵営の前、門の向かいに
街灯が立っていたね
今もあるのなら、そこで会おう
また街灯のそばで会おうよ
昔みたいに リリー・マルレーン
(中略)
もう長いあいだ見ていない
毎晩聞いていた、君の靴の音
やってくる君の姿
俺にツキがなく、もしものことがあったなら
あの街灯のそばに、誰が立つんだろう
誰が君と一緒にいるんだろう
恋する兵士の歌は、どこか沖縄の『西武門節』やアメリカ兵が歌う『Road to Naminoue』にも似ている。そこにはいつも、門が、ゲートがあって二人を分かつ。こちら側と向こう側をふわりと飛び越える音楽はたしかに存在していたけれど、人間たちは音楽という永遠のなかで、いつまでも引き裂かれたまま。それは少し、残酷でもある。
]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=315 0
逃げる兵 http://americanboyfriend.com/?p=317 http://americanboyfriend.com/?p=317#comments Tue, 05 Mar 2013 14:57:00 +0000 F.Miyagi http://americanboyfriend.com/?p=317

子供の頃、僕の生まれた島は戦争の影響を受けなかったと聞かされていたけど、実際には空襲も受けていて、そして残留日本兵がずいぶん酷いことをしたようだけど、家族や親戚、教師たちからそのようなことを知らされた記憶は僕にはない。身近なひとたちの深い傷跡が癒えるようにと過去を隠してきたのかもしれない。そんな風に戦争が見えなくなった場所で、アメリカに憧れていたこと。戦争や基地というものへの距離感。なんだか、もっともなことに思えた。
半分おとぎ話として認識していた、浜辺に漂流した兵士たちも確かに存在したようだった。沖縄戦が終わる少し前に、沖縄本島から漂流してきた日本人の逃走兵たち。そのうち数名は、すでに島にいた日本軍に殺されたらしい。おとぎ話では兵士たちは生き抜いていたような気がしてならないけど。両親や島の人間に聞けるはずもないし、この先もおそらく聞くことはない。僕は少しの本を手がかりに、このぼんやりとした逃走兵たちの存在について知りはじめている。
私はいつの間にか意識が朦朧としてきた。ギラギラ光っていた夜光虫の群れがやがて大きくふくれあがったかと思うと、間もなく髑髏の群れとなって舟のまわりをとり巻いた。髑髏たちは口々に「お前は俺たちを見捨てて逃げて行くのか」と罵った。
渡辺憲央『逃げる兵』(文芸社、2000年)
逃走兵たちは、夜の嵐を抜け、島の浜辺に打ち上げられた。数日後にその浜辺にアメリカ軍が上陸し、米軍の活動拠点がつくられた。逃走兵のうち何人かはその浜辺に戻って自らの意思で捕虜となり、何人かは米兵や日本兵に銃殺された。そしてその浜辺は、Yの家のそば、僕たちがいつかブルーシールを食べた場所だった。Yはその歴史について知っていたのだろうか。
その浜辺に、成人式のあとの夜みんなでビール片手に連れ立っていったことを覚えている。みんなと会うのはとても久しぶりだった。夜の砂浜は信じられないくらい真っ暗で、波の音だけが大きかった。誰かが砂浜のまんなかで焚火を始めていたけど、みんな疲れたのか散り散りになって、あてもなく歩き回ったり、空を見上げたり、仰向けにねころんだりしていた。僕は少し寂しげな火から離れて、水辺で砂をいじっていた。手を柔らかい砂にもぐらせると青白くわずかに発光するなにかが出てきて、手のひらに載せると、ぼう、っとすこし強い光を発した。暗くてよく見えないけど、生きている。僕は驚いて近くに立っていた誰かに、海ボタルだ、と手のひらを差し出した。Yだった。彼は夜釣り用の浮き輪だろうとなぜか気の無い返事をしてビールをあおっただけだった。オレンジ色の炎を背後に青白く浮かび上がる沖縄の人間らしくないさらりとした横顔に僕は一時期たしかに夢中だったけれど、彼と会ったのもそれが最後だった。誰かがMDプレイヤーと携帯用スピーカーで昔のしめっぽい音楽を流しはじめた。おしゃれ、とYがあざけるように笑うと「マレーネ・ディートリヒだ」と誰かが答えた。僕は冷たい水に手を突っ込んで光る何かを海にかえした。
]]>
http://americanboyfriend.com/?feed=rss2&p=317 0